ラグーザ・玉はイタリア人のラグーザ教授の彫刻「日本婦人像」のモデルとなり、
弟子となり、その後結婚してイタリアのシチリアへ渡った日本女性です。
ラグーザ教授とは、明治9年に工部美術学校にイタリアから赴任してきた彫刻家です。
シチリアに渡った玉は、洋画家として活躍し、工芸学校の教授も勤めました。
「ラグーザ・玉」加地悦子著には
「玉の実家清原家は増上寺の差配の家で、
芝新堀の広い屋敷内に築山を作ったりして花園を経営していた。
菖蒲の季節などはたくさんの人が見に立ち寄ったという・・」
「・・そこで16歳の玉に出会ったラグーザ教授は少女の気をひくために
西洋種の珍しい草花を持って通ってきた。ある時はコスモス、ある時は三色スミレ・・」
とありました。
ラグーザ・玉のたぐい稀な人生と、人となりに引き込まれると同時に
明治初めのコスモスの珍しさに出会って何かトクをした気分の読後です。
2008.11